篠原廣祐写真館

父の篠原廣祐(ひろすけ)の死後、見つけた古い一冊の写真アルバム。それは後年、父が家族の記録として作った写真アルバムとは違い、父の趣味だった写真の作品を集めたアルバムでした。年代は昭和29年ごろ。今とは違う時代の大阪が写っています。父自身が書いたコメントも挟んで父の写真を眺めて見ようと思います。(^^)/

「雑誌を読む妻」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「妻の肖像」(父がトリミングしたもの)撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「店頭夜景」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「Uちゃん」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「午後四時を過ぎて」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「雨のバス待ち」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「カメラを向ける人々」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「お祭り・お神輿」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「泣く子はダ〜レ」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「映画館の前にて」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「夏の街(上六市電通り)」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「ソフトクリームを食べるおじいさん」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「ベンチのある風景」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「坊や」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

「初夏」撮影:篠原廣祐 昭和29年ごろ

↓この三枚は昭和34年の初め頃、父が不肖、次男のわたくしを写したものです。この頃からほぼずっと我が家には猫がおり、猫好きになった理由がしっかり映されております。キャプションはやはり父・廣祐の手書き。アルバムの中のこの三枚は幼い頃から好きで、よく眺めておりました。後ろの屏風に貼られた切り紙は五つ上の兄(初出のUちゃんですね。)が、僕が生まれてくるというので頑張って作って貼ってくれたと聞きました。(^^)/

昭和38年頃の父・篠原廣祐と僕。撮影は母。木曽福島にて。

母が言った所の「慈愛の眼差し」の父。この時、父はまだ40前・・。

やはり昭和38年頃、六甲山にて。母は35 で僕は5才だろう。父がシャッターと露出を決め、兄にシャッターを押させたらしい。晴れているのでとてもシャープ。

当時の使用機材:1950年発売の「 Minon Six2」。大和光機製。ブローニーサイズのフィルム使用のスプリングカメラ。二種のフィルムサイズを選択できるが父は66に固定して使用していた。母の肖像はこれで映されている。撮影テストはしていないが保存状態は良好。この後父はヤシカフレックスを購入した。今も使えます。

↓レンズ収納状態。からくりカメラである。

35mフィルム用の「オリンパス35」。最初のタイプは1948年発売。父のはもう少し後期型のようだ。これは僕も一時使用したがすごくシャープに映る。2012年のキャノンのコンパクトデジカメと比較すると隔世の感がある。(^^;)

父の作品を納めたアルバム。古色蒼然〜。(^^;)↓

最後のページにあった父の自筆署名。30代はじめだったと思う。