(何気なく撮っていた病床の母の手。 )
■母の手■
昨日の朝は母の事を考えていました。
母の最期になってしまった夜
まさか今夜とは思わず兄が帰り
見舞ってくれたバンド仲間の石山君も帰り
11時前でしたか気持ち良さそうに眠る
母の柔らかく温かい手を
僕はベッドの横に座りずっと握っていました。
子供の頃よく握った時と同じ柔らかさ温かさでした。
すると病室のドアが開き
若い二人の看護士さんが入って来て僕に頭を下げて
「ご臨終です。」と小声で云いました。
ナースステイションのモニターでは
もう母は逝っていたのでした。
母は僕に手を握られたまま旅立ちました。
2012年の11月27日
僕の誕生日のひと月あとの同じ日でした。
今も僕の頭は母の死を知っているけれど
心は認めてない気がします。
僕が18の時逝った父も
三年前85才で逝った母も
僕の心に住んでいます。
人が本当に死ぬときは
もう誰も覚えている人が居なく成った其の時なのではないかと
僕は思います。
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横張敦子 (土曜日, 15 10月 2016 02:49)
ご無沙汰しています。懐かしいミキさん。覚えていらっしゃるでしょうか?
千代ちゃんにもらった手作りのお財布と小物入れを使う時、お元気かしらと話していました。高槻のアパートに二人で来てくれましたね。写真もたくさん撮ってくれて。本当に懐かしい、あたたかい思い出です。千代ちゃん、ありがとう。