掌の遠国(てのひらのえんごく)6「生駒の宝山寺」

◆生駒の宝山寺◆

(2007年8月2日に書く。ちょうど六年前の記事です。)


先日の月曜日、生駒にある宝山寺へ母と二人行って来た。 
生駒駅からケーブルカーに乗って一駅。 
あとは長い石段の門前町をえっちらおっちら上がって行く。 

昔 ここへ来た事がある。
その時 母は35才、僕は3才
父は38才、兄は8才、母の父親で僕の祖父は77才。 
ここは僕の祖父がよく参っていたお寺だった。 

宝山寺は別名「聖天さん」(しょうてんさん)ともいって 
大阪商人が信仰していた商売の神様で、御本尊は不動様だそうだ。 
山全体が境内になってて、仏様と神様が一緒に祭られている。 

熱心に信心してた祖父はそのかいあってか
戦争中すべての倉庫が空襲を免れ、息子たちも戦争から無事生還。 
戦後の物不足で、倉庫の品物は飛ぶように売れた。 

祖父のお店はそんな訳で戦後発展し会社になった。 
毎月のお参りを歩けなくなるまで欠かさず
祖父は92才の長い天寿を全うした。 

実は祖父の焼けなかった倉庫というのは 
空襲を逃れて疎開してゆく同業者から頼まれて買ったもので
買ったとしても焼夷弾で焼けてしまうかもしれない物だった。 

母がいうには「人が困ってるのをほっておけん人やった。」 
無口で不器用な祖父であったが
そんな祖父の孫で良かったなあとも思う。 

もう今は80才になった母が何とか元気なのも 
ここのお寺に祖父が信心してたおかげかなあ~ 
とよく思っていて今やっと母と一緒にお礼にきた訳である。 

お寺の境内は平日で人かげも少なく
母はほとんど変わっていないお寺の景色に心打たれて 
自分の父親の思い出にふけっているようだった。 

帰り道、また石段を母の手を繋いで一歩一歩
僕達はゆっくりゆっくり降りて行った。 
門前町は猫たちがのんびりする穏やかな町だった。 

母はこのお寺には昔よく来たけれど
2007年に80才になって、この階段を降りることは 
想像できなかったとつぶやいた。 

僕は思い出す。 
お寺の社務所に幼児の足でトコトコ行ってみると
祖父はしゃがれた声で僕に穏やかに云った。 
「おじいちゃんは大事な御用があるから向こうで遊んどり。」 
僕はうなずくと、またトコトコと
家族の待つお寺の広間に戻って行った。 

ただそれだけのことなのだが、
45年前のその記憶はまるで澄んだ水の面のような明るさで、
僕の中に光り、揺らいでは蘇る宝ものになっていたのである。