掌の遠国(てのひらのえんごく)10「個人的な思い」

個人的な思い◆

人は個人的な思いが全てではないか 
と思うことがある。 

僕が唄うのも個人的なことだし 
それは何かに例えたり 
別の人格になぞらえたりはするけれど 
心の奥底の個人的な事を、唄おうとしているような気がする。 

大島渚が監督した「戦場のメリークリスマス」は 
サー・ローレンス・ヴァンデルポストの小説の映画化だったが 
小説にしろ映画にしろ、英軍兵の捕虜のジャック・セリアズ 
(小説ではジャック・セリエと訳されていた)のことが心から離れない。 
  
彼は言わば英軍兵の英雄で 
友軍の尊敬のみならず 
日本軍の捕虜収容所の所長の関心までも集めていた。 

しかし、様々の事があり 
彼は英軍の捕虜を救うための行為が元で 
生きたまま土に身体を埋められるという 
残虐な刑罰を受け死んでいく。 
  
彼を救うための術を持たない英軍の捕虜たちは 
声を合わせて、賛美歌を唄う。 
しかし、死んでいくセリアズの心に響いていたのは 
賛美歌だけではなかった。 

それは故郷の家に今も暮らす弟のことだった。
唄がうまく、けれど身体に障害があり 
なにかにつけ完璧にみられた兄のセリアズと比較されて 
孤独に追いやられた弟の事と、その歌声が響いていたのだ。 

かって、セリアズの通った寄宿制の学校に弟も入学してきた。 
優等生でみんなに好かれ 
非のうちどころのないセリアズとはまるで違う弟は 
入学のときの荒っぽいセレモニーで 
上級生たちに精神的なリンチを受けてしまう。 

しかしセリアズは弟を救うことが出来なかった。 
そしてそのことで、セリアズは罪の意識を背負ってしまう。 

アフリカ戦線でドイツ軍と戦っているときも 
南方に転戦し日本軍と戦うようになっても 
彼はたった一人の弟を見捨てたという、罪の意識に苦しみ続ける。 

そして一本の木のように 
土に埋められたセリアズの心には 
弟の幻影が現われ「お兄さんお帰り」と云う。 

弟は美しい声で唄いながら庭に種を植え 
花の手入れをしている。 

本来なら、日本軍の仕打ちを呪いながら 
死んで行っても不思議はないのに 
セリアズは弟のことを思い、静かに息絶える。 

勿論、これは寓話なのだが、 
ヴァンデルポストが原作「種と種蒔き人」で云いたかったのは 
どんな状況でも、人は個人的な思いから逃れることは無いのだ 
ということかもしれない。 
  
もう一つ、僕が最近何とも云えぬ気持ちになったのは 
イタリアの詩人で学者のプリーモ・レーヴィのことだった。 
この間テレビでみたのだけれど。 (注:2001年当時)

彼はユダヤ系だったために 
戦時中あの悪名高いアウシュビッツに入れられてしまう。 

しかし何とか生き延びナチスの残虐行為の 
というより人類の悪行の証言者として40年を 
「これが人間か」や「周期律」といった著作を重ねたそうだが 
結局自殺してしまう。 

「私は思い出す。 
言葉が不自由で知能に障害があるにかかわらず 
私に懸命に、収容所内のきまりをおしえてくれようとした男。 

2mの大男で、人一倍お腹がすくだろうに 
みんなを助けようとして進んで力仕事をした男。 
こういった人がみな処刑されてしまった。 

救われた私は、あの死んでいった多くの友人たちより 
価値があったとでもいうのであろうか。」 

ナチスが悪いんやんけ 
あんたのせいや無いやないか 
と云ってもレーヴィは救われなかったのだ。 

友人の死の哀しみと溢れる個人的な思いが 
自由になって40年の後 
彼をアパートの螺旋階段からつき落としたのだった。 

彼の墓には遺言によって、詩人であったことも 
科学者であったことも記されておらず 
ただ名前と、生きた年月 
そして6桁のアウシュビッツの囚人番号 
「174517」のみが刻まれているという。 

運命もある。 
奇蹟的なこともある。 

しかし人を本当に動かすのは 「思い」である。 
それは外側からは見えない。 

そのいと深きものにこうべをたれ、 
しゅんとなってしまうのだった。 

(2001年頃の HP DYLAN'S CHILDREN 
エッセイ 『ドクトルミキのぶんつくがまがま』より再録した文章です) 

追記:「戦場のメリークリスマス」の原作のヴァンデルポストは
南アフリカ育ちの英国人で 大戦前からの相当な日本びいきでした。 

それで「日本人はアマテラスという女神を信仰する民族で、 
(そりゃ、天照大神は女性神だけど、 
ギリシャ神話的に理解してしまうんですね。) 
満月の夜には集団で狂気に陥る」 
という、なんとも美しい勘違いをしています。 
映画で、たけしが演じた「原軍曹」の暴力も、 
そのせいだと小説には書いています。(((^^;) 

その点、大島渚監督はリアルに戦争の狂気を描いていて 
詩人の鮎川信夫も、この映画に関するエッセイで、 
自身の従軍体験から、「おおむね日本軍はあんな感じだった」 
と記していた記憶があります。 

坂本龍一の音楽も秀逸だったし 
闇の中、息絶えようとしているセリアズの頭に 
一匹の蝶がとまる場面が、何とも印象的でした。

https://www.youtube.com/watch?v=x1YkHJJi-tc

(昔カセットに入れた坂本龍一の
戦場のメリークリスマスの音楽を何時も何度も聴きました。
そしてデビッド・シルビアンが歌詞を書き唄ったこの唄は
映画には使われませんでしたが、こころの奥深く響きました。
押し殺した声で、永遠に消えないように思える愛の傷を唄うこの歌は
何度聴いても今聴いても切ないです。
デヴィッド・シルビアンの唄うYouTubeです。)

「禁じられた色彩」

手にした傷は けっして 癒えることはない
信じてさえいれば報われると 私は思っていた

彼らとの間には 越えられない 距たりがある
イエスの教えに従うべきか 内なる衝動に委ねるべきか

この愛は 禁じられた色彩を帯びる
けれども私は 人の営みを信じる

無意味な歳月があっという間に過ぎさり 
無数の人々が喜んで 命を捧げていく
それでも 何も残らないのか?

わきおこる衝動を抑えようと
私は心の奥深くに 自分の気持ちを沈める

この愛は 禁じられた色彩を帯びる
けれども 私はいま一度 人の営みを信じる

己の拠って立つ所すら 信じきれないのに
何もかも盲目に 信じこもうとしつつ
答えのない問いを 繰り返す自分がいる

彼らとの間に 越えられない距たりを感じる 私がいる
イエスの教えに従うべきか 心変わりすべきか

この愛は 禁じられた色彩を帯びる
けれども私は 人の営みを信じる
この愛は 禁じられた色彩を帯びる
けれども 私はいま一度 人の営みを信じる

(日本語訳 by GivingTree)

「Forbidden Colors」 

The wounds on your hands never seem to heal
I thought all I needed was to believe

Here am i, a lifetime away from you
The blood of christ, or the beat of my heart
My love wears forbidden colours
My life believes

Senseless years thunder by
Millions are willing to give their lives for you
Does nothing live on?

Learning to cope with feelings aroused in me
My hands in the soil, buried inside of myself
My love wears forbidden colours
My life believes in you once again

I'll go walking in circles
While doubting the very ground beneath me
Trying to show unquestioning faith in everything
Here are you and i, a lifetime away from you
The blood of christ, or a change of heart

My love wears forbidden colours
My life believes
My love wears forbidden colours
My life believes in you once again

(Words by David Sylvian)