掌の遠国(てのひらのえんごく)11「今川のおばあちゃん」

祖父と祖母。生駒の宝山寺にて。撮影:篠原広祐。

今川のおばあちゃん

1     母方の祖母が89才で死んだのは 
僕が22の年の冬だった。 

12月なのにそう寒くもなく 
晴れていて秋の葬式のようだった。 

それともそんな気がするのは 
少し前の祖父の葬式が夏の炎天下で、太陽が明るく 
その光の記憶が祖母の葬式の方にも 
少しこぼれているのかもしれない。 

祖母には明るい秋の日が 
似合っていたように思う。 

祖母は近鉄南大阪線の 
今川駅の近所に住んでいたので 
僕や兄は「今川のおばあちゃん」と呼んでいた。 

感情が濃厚と云うか 
よく笑いよく泣いたおばあちゃんで、 
最後の孫だった僕は溺愛された。 

街中の大通りの前の僕の実家と違い 
おばあちゃんの家は東住吉区の住宅街だったので 
母や兄と泊まったりした夜はとても静か過ぎて 
僕はなかなか寝付けなかった。 

ときおり終電間際の 
近鉄線の音がかすかに聞こえたり 
もっと遠い向こうから 
夜汽車の汽笛が聞こえたりする。 

僕は幼稚園か小学1~2年というところだったのだろう。 
母や兄は隣で寝息を立てているし 
突然階下から柱時計のぼーんという 
物悲しい音がして不安になる 

薄暗がりの中で、襖の上の方に掛けてあった 
「ビーナスの誕生」か何かの絵が 
今にも動きだしそうな気がして、固く目を閉じた。 

けれど朝になれば今川のおばあちゃんの家は 
あっけらかんと明るかった。 

一階の仏間に居ると決まっておばあちゃんは 
「ほら、あそこのスミのとこで 
ひょいと立ち上がって歩きだしたんやで  
三樹ちゃんは。」と僕に云う。 

実際、この今川の家で 
僕は初めて立って歩いたらしく 
おばあちゃんにとってそれは、 
純粋な驚きと喜びだったのだと思う。 

ともかくあんまり何度も云われたので、 
「おばあちゃん またゆうー。」とむくれると、 
それにも笑って大喜びのおばあちゃんだった。 


2      一階の仏間と云えば 
もうひとつはっきり覚えている事がある。 

話す事も出来無かったのだから 
1才前だったのだろう。 

その晩、僕は仏間に寝かされていた。 
母が横に寝ていた。 

階段の上り口の壁に 
子供のような影が写ってゆらゆら動いていた。 

今でもあれが何だったかよく分からないのだが 
ともかく僕はそれが怖くて 
火が付いたように泣いた。 

母も起き出して「どうしたん?」と 
根気よくいつまでもあやしてくれるが 
その影はいつまでも消えない。 

絵本に出てくる 
影絵のような感じだった。 

母にそれを訴えたくて 
いつまでも泣いていた気がする。  

ともかく今でも不思議だけど 
そんなこんなで僕がぐずったり 
寝付けないでいると母はよく 

「三樹ちゃんの寝る間に アモついて~」 
と云う子守唄を唄ってくれた。 

「アモ」と云うのはオモチの事らしいが 
子供心にそれがすごく甘くておいしそうで 
唄ってもらうのが嬉しかった。 

母もまた祖母によく 
唄ってもらったのかもしれない。 
物悲しいメロデイの子守唄だった。 

それで、おばあちゃんの家は好きだったけれど 
泊まるのは苦手だった。 

おばあちゃんの家に居ても 
夜が更けてくると僕は母をせかして 
早く家に帰りたがった。 

僕達が今川の家の門を出ると 
決まっておばあちゃんは 
家の前でいつまでも手を振っていた。 

僕達も何度もふり返って手を振る。 

曲がり角の手前の別の家の塀から 
うっそうと繁った松の枝葉が 
終夜灯の黄色い光を浴びて 
黒ぐろと影をつくって浮かび上がり 
いつも見ないでおこうとしても見てしまう。  

やがて、駅の方への曲がり角に来てふり返っても 
おばあちゃんの小さな姿は 
まだ手を振っていて遠く 
ひどくたよりなげだった。 

電車とバスを乗り継ぎ 
生野区の父の待つ実家に帰ると 
表の車の騒音や蛍光灯の明るさに 
僕はほっとするのだが 

家に帰ってもしばらくは 
おばあちゃんの家にある 
何とも云えない寂しさのようなものを 
少し連れて帰ったような気がして 
又メランコリックになったりもした。 


3      幼稚園に上がる前位だったか 
今川の家に白い猫がいた。 

生野区の実家の猫とは 
又違う毛色だったのが珍しく 
捕まえようとして逃げられ 
その猫が帰って来なくなった事があった。 

それはすごくショックだった。 

「三樹ちゃんが追いかけたから 
庭の木のほら、あの枝を伝って逃げてしもうたよ。」 
と笑いながらおばあちゃんは、 
何度も僕に云うのだが 

『なんであんな事したのに、 
おばあちゃんは僕をおこらへんねやろう? 
あの猫はどこへ行ってしもたんやろう?』 
と長い間思っていた。 

おばあちゃんの家には小さな庭と縁側があり 
夏場には涼しい風が吹くので 
おじいちゃんがよく籐椅子に深く座って目を閉じていた。 

おじいちゃんは静かな人だった。 
けれど92才で亡くなる前 
おじいちゃんは真顔でおばあちゃんに 
「おまえは早よ死ね」と云ってたそうである。 

僕の母など「あれは本音やった」と 
しみじみ云ったりするのだが 
その母が時折語るおばあちゃんとおじいちゃんの人生は 
子供だった頃の僕などには到底理解しずらいものだったようだ。 

おばあちゃんはその濃厚な感情 
と云うか激情ゆえにおじいちゃんを 
かなり苦しめていたらしい。 

よく喋る賑やかないとこ達からも 
おばあちゃんとの間に様々な事があったと 
後に聞いた。 
  
・・本当はそんな場面を見てはいないのに 
おばあちゃんが縁側に座り 
猫が伝って逃げて行ったあの木を 
ぼんやり見ている映像が心に浮かぶ。 
  
自分の中にある激しい感情も 
天然パーマも、丸顔団子鼻に至るまで 
おばあちゃんの血なのだが 

それでもおばあちゃんの事は 
実を云うと未だによく分からない。 

もちろん、母や伯母 
いとこ達にもっと聞いてみたり調べたりすれば 
事実としては色々呑みこめるのだろうけれど 

祖母とその最後の孫と云う 
年齢の差の距離は容易に埋りはしない。 

けれど今はその「分からなかった」 
と云う事が悔やまれるのでは無くて 
とても不思議なありのままの事として 
「『分からない』 と云う事をついに悟った」のだと  
ふと思ったりする。 

(2010年8月15日、17日、20日のmixi日記より加筆・訂正の上 
三回分をひとつにまとめて転載いたしました)