掌の遠国(てのひらのえんごく) 14「『フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト』が出来た夜」

「『フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト』が出来た夜」

 

1989年の8月の終わり頃 

バイト先のある北浜地下の書店で立ち読みをしていた僕は 

情報誌「エルマガジン」のライブ欄を見て、あれれとつぶやいた。 

 

「Bハウス:9/1 ドクトルミキ」とある。 

その頃、毎月一回 僕はベースのY君と組んで 

「ドクトルミキバンド」名義でライブをやっていたが 

9月の出演はもっと後のはずだった。 

 

何かの間違いと思い、あわててBハウスのマスター Tさんに電話すると 

「ごめんごめん、急に穴があいちゃってミキくんをいれたんやけど、 

連絡するの忘れちゃってたんだよ~ 何とか頼むね~」とのこと。 

 

自分は出られるが、組んでいるY君に聞いてみると 

その日は無理だった。ひさしぶりのソロか。 

まあええわ。ちょろいもんや。 

  

後少しで31才になるその頃の僕は 

自信過剰な割には、へこんでばかりいたのだが 

性懲りも無くまた思うのだった。 

「腕を見せたるわ~。!」 

 

さて9/1。いつもの出演日は第2金曜だったか 

第3金曜だったのだかは忘れたが

代演日の1日が金曜だったかまでは、実は覚えていない。 

ただいつものように雨が降っていた。 

(後記:調べたらやはり金曜だった。) 

 

当時、工場の煙突が撒いた「煤煙」が、週末金曜あたりに 

決まって雨を降らすんや、と誰かが云っていた。 

それでレギュラー出演日は雨ばっかりだったような記憶があるが 

実際は心が雨だったと云う方が合っているだろう。 

 

・・ウケなかった。お客さんは多いのだが 

いつもの顔ぶれではなく、この唄ならどや 

ほならこれは、とゆーのがことごとくはずれるのである。  

 

しまいにはパラパラの拍手までがとだえてきて  

ついにある曲で、ジャラーンとギターのエンディングの後 

しーんと静寂。 

人生初のライブ拍手なしを経験した。 

  

(・・出始めの頃、お客さんの喧噪うずまく中の演奏では 

まるで戦っているような反応があった。 

僕らの演奏が終わると、まばらな拍手とともに 

お客さんの声も休憩するように静かになる。 

 

また僕らが演奏を元気よく始めるとお客さんも 

その音に負けじと話声のボルテージを上げる。 

 

Bハウスは基本的に、うまくて手ごろな値段の料理が売りの酒場だった。 

お客さんも「まあ良けりゃ聞いたろ。あかなんだら、聞けへんで~」 

という感じだったのである 

  

ライブが終わり、貰ったギャラを握りしめYくんと 

桃谷の商店街を歩く頃にはもう頭は真っ白。 

駅前のたしか谷中屋という飲み屋でジョッキを二人握りしめ 

「どうしたらもっと聞いてもらえるんやろ~」とうつむくばかり。 

 

でも根が阿呆やから、あれは何かの間違い、次こそ大喝采や~と 

二人また桃谷に出撃する、そんな繰り替えしだったのだ。 

  

しかし1~2年もすると、聞いてくれるお客さんがぼつぼつ現れ 

「ジャニス、もう忘れよう」とか名物曲もできて来て 

自信を持ち始めていた矢先だった。) 

 

  

で、最悪に受けなかった9/1のソロライブ。 

僕はヘコミ、店の中からは、ことさらコメントもなく 

いつも励ましてくれる厨房の高仲くん(彼も唄ってた)も黙り込み  

僕はただギャラをもらい、頭を下げ、すごすごと店を出た。 

 

手にしてたギターD28は、近々後輩に売ることが決まってて 

最後の使用だったのに、なんちゅう結果。  

ギターケースがやたら重い。 

 

パチンコ屋の店先のシャッターの前の 

歩行者の雨靴で濡れそぼった鋪道に 酔いどれじいさんが 

一人座り込みしゃがれた声で 

「ずいばせん・・ずいばせん」とくりかえしつぶやいていた。 

 

「誰にあやまっとんねん」と不機嫌につぶやいた僕は 

まるで自分の姿を見てるようでたまらず 

足早に桃谷駅の改札を通った。 

 

飲み屋に向かう気もおこらなかった。 

早く寝床で傷を舐め、眠ってしまいたかったのである。 

けど、家に帰っても悔しさで眠れなかった。 

 

・・ところが明け方 ふと本をめくっていて気になる言葉を見つけた。 

大好きな詩人、鮎川信夫さんの対談集の中にあった言葉。 

「大体辛いなんてことは、たいてい気のせいなんだよ。」 

 

僕は明かりをつけ歌詞を書き始めた。すぐに最後まで書けた。 

それが「フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト」だった。 

 

「フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト」

詞/曲 ドクトルミキ (1989  9/2)

 

夢の終わりが来たのかな お前もヤキが回ったと

ついてない事ばかりさ このギターも人手に渡る

 

けれど俺は知っている みんな気のせいだってこと

あんたが辛いとしたら それはたいてい気のせいだって

 

フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト

 灯りの下 小さな店

 俺は唄うけど 誰も聞いてない

 唄が終わっても 拍手も無い

 けれどBaby どこかで誰かが聞いててくれるもの

 床が傾いているよ 滑り落ちないで Baby

 

帰り道の濡れた舗道で 酔いどれ爺さん座り込み

道行く人みんなに 何か謝っている

 

けれど俺は知っている みんな気のせいだってこと

あんたが辛いとしたら それはたいてい気のせいだって

 

フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト

 灯りの下 小さな店

 俺は唄うけど 誰も聞いてない

 唄が終わっても 拍手も無い

 けれどBaby どこかで誰かが聞いててくれるもの

 

 床が傾いているよ 滑り落ちないで Baby

 

床が傾いているよ 滑り落ちないで Baby

フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト

 

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(権利者の許可なく歌詞、楽曲、の演奏・録音を禁じます。) 

https://www.youtube.com/watch?v=NZN3wffUqis

https://www.youtube.com/watch?v=68aoivdBK9s

 

 

さびの部分最後の「床が傾いているよ」という所は 

子供のころ行った遊園地の「びっくりハウス」に 

錯角を利用して実は傾いているのに、真直ぐに見える床の部屋があり 

ここに立った時の妙に苦しい感じを思い出して 

ウケないのに唄い手が必死に踏ん張っている感じに例えてみた。 

 

別にBハウスの床が傾いていた訳ではない。(^^;) 

 

曲もすぐ出来た。 

その頃心酔してたジョン・プラインの 

「ドナルドとリディア」みたいなカントリーワルツの 

リズムにして、もう明け方6時前だったが本気で唄った。 

 

そして買ったばかりのヤマハの4チャンネルのMTRを 

引っ張り出すとすぐ多重録音をしてみたのである。 

 

これがD28の僕の手許における最後の仕事になった。 

「ついてない事ばかりさ/このギターも人手に渡る」 

も、本当のことだったのだ。 

 

その後、僕はしばらくして 

「フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト」を 

Bハウスでも唄いだした。 

 

地味な唄やから、お客さんの反応は大した事はなかったのだけど 

厨房でいつも聞いててくれる高仲くんが 

気に入ってカバーしてくれて そのことから 

やはり店のスタッフで弾き語りの坂(ばん)君 

店の弾き語りのエースだったA-Show君 

広島から来てた横張登くんなど何人かの唄い手によって 

唄ってもらえることになった。 

 

みんな同じような境遇で唄ってたから、共感があったのだろう。 

ただ、面白いのは最初の高仲くんのカバーが、 

僕の原曲のワルツを4拍子のスローバラードでアレンジしていために 

みんなはそっちのアレンジで唄い始めたことだった。 

 

やがて高仲くんとウエイトレスの由巳ちゃんが結婚して 

Bハウスでお祝パーティをした時 

僕が唄ったのは「フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト」だった。 

 

僕は趣味だった写真を二人のために撮り 

作ったアルバムにこの唄の最初に書いた歌詞を貼付けた。 

高仲くんや由巳ちゃんだけは聞いていてくれてる。 

店のライブでの、僕の大事な心の支えの二人だったのだ。 

 

唄うたいだったら解るだろう。 

聞いて無い百人のお客さんより 

聞いてくれる一人のお客さんのほうが嬉しい。 

 

でもその一人を作るのは、良い唄を書きたい 

書かねばという本人の意志の持続だ。 

 

もう20年以上たってしまった。 

最近またまた、あの頃のことを嫌でも思い出す事があったから 

追憶にふけってしまったけれど

「フライデイ・ナイト、レイニィ・ナイト」も 

古い唄なので毎回ライブで唄う訳ではない。 

 

しかし今も唄ってみると、心はすぐさま蘇る。 

今も無名な僕だけれど「希望をすてるな」と 

あの頃の自分が必死に云うのである。      

 

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コメント: 1
  • #1

    おししまたはシールです。 (日曜日, 24 4月 2016 18:19)

    Bハウス、懐かしい❗そういえば、雨の日が多かったかな⁉結婚する前後やから、25年ぐらい前にちょこっと行ってたなぁ⁉