掌の遠国(てのひらのえんごく)12「果てしのない夏」

♪果てしのない夏♪

 

僕らの子供の頃 1960年代半ば。 
まだ原子力発電も東海村で実験段階で 
「原子力の平和利用」という言葉が使われていた。 

クーラーも一部の喫茶店とか銀行に 
水冷式の強力なやつがあったけど 
電車にもバスにも冷房はなかった。 

扇風機は値段が高く1万円くらいしてた気がする。 
青い透明な羽根が回転し、音を立てて風を送っていた。 
もちろん僕らはその前で「あああ~~~」 
と声にアナログディレイをかけるのだった。 

楽しみはときおり隣の喫茶店「タイガー」から 
出前でとってもらう「みぞれ」だった。 
手回しのかき氷機から降ってくる氷は、とてもふんわりしてて 
夏の下町の小さな南極みたいだった。 

家族4人で夢中でかき氷をたべると 
4人とも頭がキーンとなって 
つかのま冷え冷えとしてしまうのであった。 

2軒ほど隣にあった信用金庫には 
びっくりするほど涼しい(と思われた) 
冷房がかかっていた。 

目当ては中におかれた麦茶の出て来る機械。 
小さな紙コップがそなえられてて 
お客さんが無料で飲めるようにしてあった。 

何回も入って飲むと行員さんに怒られた。 
「ぼく どこの子や!」 
と云われると赤面して 
「隣の薬局の子・・」と正直に答えた。 

空には巨大な入道雲がそびえ 
僕は野球帽をかぶるように云われ 
5才上の兄と八戸ノ里の布施市営プールに行ったものだ。 
中で売ってた関東煮きが 
プールで冷えたからだに、これまた美味しかった。 

10円のソーダアイスは棒が2本ついてて 
二つに分割できるようになってたが 
割り方を誤ると片方がおっきくなっちゃって 
兄弟喧嘩を誘発するのだった。 

4人家族で眠る一階の8畳間は 
香取線香が焚かれ、灯が消された。 

暗がりの中で父が、まだ眠らぬ僕に 
兵隊時代の思い出を低い声で話したりもした。 

蚊取り線香と父の煙草の火が赤く点っていた。 

気がつくと再び明るい日差しの朝が 
高圧鉄塔の向こうの入道雲からやって来て 
夏は子供の僕らに果てしなく続くと思われた。 

人はどの時代にも精一杯生きていた。 

夏はその全てが明るく照らされ 
放置され 灼かれ 陰をつくり 
今なお僕らを暑い陽炎の中に投げ入れる。