読んだ本、聴いたCD

「遠い声 遠い部屋」トルーマン・カポーティー著

 

カポーティーの名を知らなくても、映画になった「ティファニーで朝食を」の原作者と云えば、ふうーんと思う人も多いはずだ。
映画の「ティファニー」は、ハッピーエンドのおしゃれなラヴ・コメディになっていたが、原作の「ティファニー」はもっと苦い。
オードリー・ヘップヴァーンの演じていたホーリー・ゴライトリーは、映画と違い行方不明になってしまうし、語り手である「私」も行き場の無い哀しみを背負ったまま物語を終わる。
そのカポーティーの処女作長編がこの「遠い声 遠い部屋」(原題:Other Voices, Other Rooms)である。
主人公の少年は突然の母の死で、顔も知らぬ「父」の待つ遠い南部の田舎町へ一人旅立つ。
「ヌーン・シティ」と云う眠ったような田舎町から、更に馬車に揺られ、病んで寝たきりの父の待つ「ドクロ館」へ到着すると、そこには何やらえたいの知れぬいとこのランドルフ、黒人女中の若い女性ズー、アイダヴェルとフローラヴェルの双子姉妹、ズーの父親(だったと思う)のジーザス爺さんなどが待っており、二階で眠る父の部屋からは、赤いボールが音を立てて転がり落ちてくる。
少年時代と云う緩慢な牢獄をメタフォーにしたような設定と、人々の繰り広げる絵巻が、読むものを白昼夢の世界へと誘う。
ズーは首府のワシントンが雪と信じて、アコーディオンを毛虫のように腰からブラブラさせて家出をするが、金をとられひどい目にあって連れ戻されてくる。
主人公の少年もカーニバルのこびとの美少女に「連れて逃げて」と乞われるが、雷雨の中、人の存在の孤独さを思い知って「ドクロ館」へと連れ戻される。これは友人に貸したまま返ってこない本の一冊なのだが、心の中にそのまばゆさが今もそっくり残っている程だ。
日本語の訳も非常に素晴らしい。この作品を23~4才で書き上げた天才カポーティーも今は故人となったが、いつか写真誌に載っていたカポーティーの写真、壁に貼ろうとちぎって取っておいたのを無くしてしまい今も後悔している。
この本から以前3曲唄が出来たくらい思い出深い小説である。もう一度買わなくっちゃといつも思っている。
暑く気だるい夏の午後、もう手元に本はないのに この物語のまばゆさはいつまでも心の部屋から消えない。登場人物の声が遠く響くような気がするのである。これこそが優れた「物語」と言うものであろう。

「暗い青春・魔の退屈」 坂口安吾 著

「君も何処か 知らないところへ旅に出たまえ。
たった一人で出かけてみるのだ。
そうすれば、きっと変わる。
みんな自分といっしょに自分の不幸まで部屋に閉じ込めているのだ。
僕が君にとって何でもなくなる日が来ると言うのに
その日を迎えるために努力しないとすれば
君の生き方も悪いのだ。
本当の幸福はここには無いかもしれないが
多少の幸福ならきっとどこかにあるはずだ。
しかし今ここにはないのだ。
こんな冬のプラットフォームには。」

これはこの自伝的作品集の一編「古都」の初めの方、
自分から離れようとしない女への安吾の別れの言葉である。
ほぼそのまま、メロディをつけ「冬のプラットホフォーム」と題して唄っていた。でもライブでは殆どやった事が無い。
自分自身への呟きだった。

丁度大学の3年の冬、足掛け5年付き合っていた彼女にフラれた。
それから気持ちボロボロの日々が10年くらい続いた。
今から思えば本当に情けない話しだ。
しっかりせいとあの頃の自分に言ってやりたい。
お前は「鬼滅の刃」の善逸かあ!😅

その頃、いつも鞄に入れて事あるごとに読んでいたのがこの文庫本だった。
そして安吾の女に対する冒頭の言葉を自分に何度も言い聞かせていた。

安吾が矢田津世子という女流文学者との恋にズタボロになり、逃げるように京都に落ち延び、仕出し弁当屋の二階の碁会所で碁を打ちまくって、先生と呼ばれていた頃の味わい深い話 「古都」。
精神の彷徨の重苦しい逸話「いずこへ」。
自殺した芥川龍之介の陰鬱な部屋で芥川龍之介の甥と同人誌を編集していた頃の話「暗い青春」。
どてらを着て釣り仲間とともかく飲んでいた話「居酒屋の聖人」。
戦時中に全く映画化されるアテのない脚本を書いた日々の「魔の退屈」などの自伝的短編集。
その頃の自分は読んでいる束の間、苦しみを少し忘れた。

あの頃の自分は若くて身体は元気だったし、何を食べても大丈夫だったし寿命は沢山残っていたし、自分は何と馬鹿で甘えてた事だろう。今思うと本当に未熟で筒一杯だったのだ。

けれどこの本以外にも沢山読んだ安吾の作品は確実に少しずつ自分の心の糧になったかもしれない。
どんなに落ちぶれても変わらぬ魂の光が描かれていると思ったからだ。
人の放つ光を見届ける事は大切だ。

この作品集では無いが、「ふるさとに寄する讚歌」に収められた初期の短編「黒谷村」にも衝撃を受けた。
内容もであるが、実はその文章の透明さに驚いたのだ。描かれている事はかなり退廃的だが、その奥深いところは何があろうと美しいのだ。
人間の美しさの対比として卑しさや退廃を描いても、安吾は決してそれらに屈しない。
卑しくなる事ができない宿命だったのだと思う。

そして、これは幻想と言うか馬鹿げた思い違いでしかないのだが、安吾の有名な写真の横顔に自分の父親の理想の面影を見ていたりしたのである。

詩集「難路行」 鮎川信夫


「影」     鮎川信夫 (難路行より)
 

 
きびすを返す時刻を 
 

約束のように守る男なら 
  

きみでも  
 

きみでなくても 
 

よかったかもしれぬ 
 

父たちが     
 

工場を出たときは 
 

いずれにせよ深い霧だった
 
 

どこをどうほっつき歩いたか
 

きみはさびしい広場にいた
 

月あかりに見上げる
 

手のひらほどの丘に
 

きみの家族の住むきみの家があり
 

ひっそりと
 

手をにぎりしめて
 

待ち伏せするけはいがある
 

 

灯りをともし
 

梢のほそい枝をうち鳴して
 

寒さに耐えているものよ
 

きみは襟巻きをし
 

きちんと帽子をかぶり
 

みずからの影をひきずって
 

とりちがえようのない顔を選ぶために
 

きみ自身の街路を行かなければならない

 
 

かえるところがある
 

その美しさに
 

その恐ろしさにといっても同じだが
 

どう歩幅を合わせても
 

きみの影は跛をひいている
 

きみでもきみでなくてもよかったのだ
 

酒場はもうしまっており
 

バスは朝まで来ない

 
 
 
 
86年に没した戦中〜戦後の荒地グループを代表する詩人鮎川信夫の最後の詩集。
刊行は没後だった。これ以前の78年に刊行された詩集「宿恋行」と対を成す題名、装丁である。
鮎川の詩は「荒地詩集」などに収録されたものが、何度も「鮎川信夫詩集」として時代により改定されて発刊されて行った。
だから晩年と死後のこの二冊は、詩人の最後の集大成となった。

最初に鮎川信夫を知ったのは高校の現代国語の教科書だった。
教科書に載った「死んだ男」と言う詩を読んだ時、頭の中に霧が沸き起こり、多くのバイオリンの不協和音が響き、なんとも言えない感覚に襲われた。
http://www.midnightpress.co.jp/poem/2010/07/post_140.html
それにしても何故こんな言葉が書けるのだろう?
結局、国語の授業では取り上げられなかったのだが、もっと読みたかった僕は思潮社の現代詩文庫に入っていた二冊の鮎川の詩集を買っては読み耽った。

そして「死んだ男」は戦時中の詩の友人、森川義信が出征先の南方で死んだ事を追悼して戦後に為された詩作品と分かった。
多く文学を読み、多くの詩を読み、また書き、しかし戦争と従軍という体験から鮎川の詩は遂には本質的な変化を遂げたのだった。

冒頭に再録した詩「影」は書店で手に取った現代詩手帖に掲載された時に読み、「死んだ男」と同じような衝撃を受けた詩だった。
特に最後の連の終わり方が美しくも残酷だ。

 
「酒場はもうしまっており
 

バスは朝まで来ない」

 
謐けさの中に可聴範囲を超えた叫びが聞こえるかのような、きめの細かな沈黙に縁取られた絶唱だと思う。
と同時に、鮎川信夫の心的状態を正確に表現していたのだろう。

実は鮎川信夫と荒地グループには青春の記念碑とも言える詩がある。
森川義信が出征前に書いた「勾配」である。
http://www.midnightpress.co.jp/poem/2010/07/post_141.html
その頃に出征を控えていた荒地グループの若い詩人達には殊更胸に響いた詩のようであった。

「死んだ男」は森川への戦後に書かれた追悼詩だったが、実は晩年になるまで、鮎川は自分なりの「勾配」を森川に贈ろうとしていたのではないだろうかと最近思うようになった。それが「影」ではなかったか。そして詩集「難路行」ではなかったか。

また時期も近かった事があり、この「難路行」には「ジョンレノンの死に」という作品も含まれている。
https://hirohiro0810.blog.ss-blog.jp/2007-12-08
30年以上が経って、今はもう本棚にあるだけで安心感を覚える詩集ではあるが、今回通読してみてまた新たな感慨があったことも記しておきます。

「それでも猫は出かけていく」 ハルノ宵子 著

 

人間が生まれて来た理由があるとしたら、「〇〇の護り手」と言うのがあるかもしれない。
地球上の生物、特に哺乳類は皆明確な心と個性を持っていて可愛いと思うのだが、人に寄り添って生きる猫には特にそれを感じる。
それは人間も同様だ。ただこの本にあるように動物は「決して絶望しない」ところが違うのだろう。
漫画家として生き、猫たちを愛し、父・吉本隆明と母を介護し、自身も乳がんと戦いこの本を世に贈った彼女はやはり猫の護り手として生を受けられたのかなあ、、と思う。

 

時代は変わったけど、大阪市内の賑やかな場所で育った僕の家にも常に猫がおり、気ままに家と外を往来し、周りの住民も別に気にも留めてなかった。

ところが今は除夜の鐘や子供の運動会がうるさいと苦情が来る世情である。
都会では猫も随分住みにくくなったのだ。それと今の近所で猫好きと猫嫌いを観察していてわかったことがある。
猫に水をかけたり、毒を盛ったりする輩は実は「猫が怖い」のだ。(^^;)
蜘蛛や蛇が怖いのと同じである。大阪弁で言うと「アホちゃうか」と思ってしまう。

 反対に猫好きの人は大抵子供の頃から猫と暮らし、「猫可愛がり」してしまう。

 

母が生前いつも言っていた言葉「猫だって散歩もしたいし、気ままにしたいやんか。」を良く思い出すのである。

猫好きはあまりにも猫嫌いや猫恐怖と言う心理を知らなすぎるのかもしれないが、高名な文学者とその娘さんの猫への愛を読むとやはりホッとしてしまう。

怖がるよりも愛おしいと思う方がいいに決まっているのだ。

 

難しい問題を孕んで入る内容の本だが、「猫の護り手」の言葉は猫好きには沁みるのである。

「何かが道をやってくる」 レイ・ブラッ ドベリ著

 

2枚目の写真は実はどこかの国の10月の裏町だが、こういう侘しい明かりの灯る人気のない風景の中で、自分の魂は自由になって謳えるような気がするのである。何故なのだろうか。

ブラッドベリの「何かが道をやってくる」は小学校四年だった僕に、心の世界の扉を開いてくれた決定的な一冊だった。

10月の終わり、、ハロウインも間近という頃のアメリカの片田舎の街にカーニバル団がやって来る。
二人の少年ウイル・ハロウエイとジム・ナイトシェイドは奇しくもほぼ同じ誕生日の兄弟のような近所同士なのだが、ある夜このカーニバルの不可思議な秘密を垣間見てしまう。
図書館司書でウイルの老齢の父親は二人の言葉を信じ、この禍々しい「闇のカーニバル団」との対決に臨むのだが、、。

秋の冷え始めた夜の部屋で布団に足を入れて守られながら、寝転んでこの文庫本を読みふけったあの感覚は決して忘れない。

オレンンジ色に縁取りされた司修さんの手になる謎な抽象画の表紙、黄ばんだページの紙の色、物語に散りばめられた秋のアメリカの田舎町の郷愁溢れる描写、コットンキャンディー(綿菓子)の匂い、カライアピー(蒸気オルガン)の音色、回転するメリーゴーランドの極彩色、闇の異形たちの怪奇と驚異、、。

行ったことのない遠国の風景なのに、深い郷愁を感じたのは作者のブラッドベリが少年時代のアメリカを回想する、その心の傾きが読むものを同様のメランコリーに誘うからだと思う。

その後、ディズニーで映画化されたものをVHS時代のレンタルビデオで観たことがあるが、本を読んで自分の心の中で展開されていたのとは違う造形の世界にはかなり違和感を感じた。
映画を先に観ていればまた違ったのだろうと思う。
本は各々の心の広大な世界への案内人なのだと思う。

この後たくさんブラッドベリの本を読んだ。
「10月はたそがれの国」「華氏451度」「ウは宇宙船のウ」「太陽の黄金の林檎」「スは宇宙(スペース)のス」「たんぽぽのお酒」「ハロウインがやって来た」「とうに夜半をすぎて」など。

一般的にはブラッドベリはファンタジーやSFに分類されているが、怪奇と幻想に郷愁を加え独特の文章で織り成された物語たちは、ゆっくりと成長の痛みを通り抜けた時期に、大きな慰めを与えてくれた気がするのだ。

「うたかた/サンクチュアリ」 吉本ばなな著

 

吉本ばななは僕にとって、羨ましい人である。
何故ってお父さんが吉本隆明(故人)なんだよ!さねよしい子も友達だし。
ま、いいか。この人の小説は可愛いと思う。
キティちゃんの可愛さなんぞでは無く、本物の猫の可愛さみたいにリアルで不思議なのだ。

「うたかた」の主人公は鳥海人魚と云う名の女の子だ。(とりうみにんぎょ、だぞ。スゴ。)母親と二人暮らしなのだが、父親とは死別した訳では無く、ただ母親と初めから結婚していない上に、ずっと別居なのだ。
つまりずーっと恋人同士の父と母の間の娘で、人魚の母さんはいつもボーっと父さんに恋をしている(う、素敵やな。)と云う関係なのだ。
それでその父親と云うのがやたら声がデカク、じゃりん子チエの花井センセを若くしたような、つまり父=吉本隆明のイメージなのだ。
その父親と同居している少年(これがまた、ややこしい事に、父親の知合いの女性の子供で、人魚とは血のつながりは無い。)その名も嵐(あらし)君に恋をする。
「人を好きになることはほんとうに悲しい。 恋、たとえるならそれは海の底だ。」
本の帯にも、文中にもそうあるのだが、愛よりも「恋」と云う物のあの感じを、女性の心でしっかり捕らえた美しい物語で、そこに父親=吉本隆明のゴーカイかつ知的なイメージがあって、とても香り高いお話になっている。スカッとしたラストも良い。
 
もう一つの「サンクチュアリ」は仲々ヘヴィーな話しだ。
美しい友子と云う女性が何故、自殺してしまったか、主人公の智明君が段々理解していく物語なのだが、この智明君がまたかっこよくてイイ奴なのだ。
男から見るとかっこよすぎて困る。かもしれない。
パタンと本を閉じ、ふえーとため息をついてベッドにもぐり込み「ボクとは全然ちゃうわー」と枕を濡らすのみである。
(なお安価な文庫本のほうが入手しやすいです。)

明け方に、読んだ本のことを色々思い出す夏なのであった。
(^^;)

「チャーリーフロイドのように」田中研二

(写真は2017帰国ツアー・豊中すてっぷホールにて。撮影:ドクトルミキ)

 

もう随分と前、’82~3年だったか、梅田の映画館の前でばったりと田中研二さんに会った。田中さんは「バイクでニュージランドを一周してきてん。」と立ち話をしながらニュージーランド仕込みの手巻タバコをその場で器用に巻き、喫っていた。「東京に引っ越すからまた葉書をだすわー」と云い僕の住所を手帳に書いて人混みに消えた田中さんから、結局葉書は来なかった。

 

コミックソングみたいに思われている「インスタントコーヒーラグ」の作者の田中さんは僕にとって一番身近なヒーローだったし、それは今でもそうなのだ。

 子猫をもらいに鴫野のアパートまでお邪魔したり、’80年に今はジャズギターを弾いている橋本裕と田中さんと、田中さんの友人の源ノ助さんと僕との4人で(その頃僕はまだ本名の篠原三樹で唄っていたし、橋本も養子に行くはるか前で藤本裕だったが。)森ノ宮の青少年会館を借りて「現代民謡の鬼才達」という大げさなタイトルのコンサートをやったり、ともかく僕より10才年上の大人のフォークシンガーだった田中さんの記憶は、僕の中では特別なものなのだ。

 

その田中さんのファーストアルバムにして70年代初頭の自主製作盤「チャーリーフロイドのように」がCDで復刻された。(2017 年現在市場在庫のみ)

大阪における最も禁句な3文字を連発する「わいせつを語るブルース」やナマコに対する苦悶の唄「食卓」など愉快な唄も勿論楽しいけど、「市街電車」とか「すすき川の流れるところ」「ごきげんよう」と云った男の孤影の唄にやはりぐっと来てしまう。本当に当時のフォークシンガーの中で一番文学性を持った人だった。

 

田中さんは今オーストラリアに住んでいて、自分の若き日の復刻CDに味わい深いライナーノートを寄せているけれど、それ以上に嬉しいのは、未発表作品の音源が数曲収録されていることだ。

特に「クリスマスイヴ」が素晴らしい。唄を作り唄う若者達にぜひ聞いてもらいたい。涙の出るほどおかしな唄や、良い香りのする愛の唄を。

そして夜のしじまに点る孤独の唄を。 

「出家とその弟子」 倉田百三

 

抹香臭いタイトルであります。
ナウなヤングには関係なさそうと思える。
ところがどうして、もし君が苦しい恋に悩み、生きることに虚しさ覚えているならば、砂に水が染みるように読めてしまう本なんである。

出家とは浄土真宗の始祖、親鸞上人の事なんですが著者の倉田百三(くらたひゃくぞう)は大正時代の作家で、どっちかと云うとキリスト教よりの人だったらしい。

丁度、法華教信者だった宮沢賢治の書いたものがキリスト教的なのと逆で、女の子が唄を書くときよく、「私」じゃ無くて、「僕」と書くのに近いのかも知れません。

僕は割合キリストと親鸞の気分的ファンなので(ぜんぜん無宗教だけど。強いて云うなら音楽信者。)この本に親鸞が出てくると知った瞬間読んでました。20世紀末ごろの事でした。
強くて優しくて賢くて深くて、それでいて悲しみをいつも持っていた人=親鸞、嗚呼・・といつも思ってしまうのでした。

物語はかって遠い雪国で縁の在った少年が、親鸞に弟子入りし、成長して唯円というお坊さんになるのですが、なんと若い娼婦=かえでに恋をしてしまい、悩み苦しむ。

そして唯円と恋仲のかえでと仲の良い姉さん的な娼婦=浅香のいい人がなんと、親鸞に勘当されている実の息子=善鸞だったりして、その善鸞はまた自分が昔、不倫をして父である親鸞や不倫相手の夫まで深く傷つけた事と、仏法への不信でもう悶絶状態でみなさんめちゃくちゃ人間的なのでした。
 
やがて唯円とかえではめでたく結婚し、かえでも勝信という尼僧になるのですが、親鸞の臨終に駆けつける善鸞ははたして勘当をといてもらい、仏法への帰依が出来るのでありましょうか~というクライマックスが仲々息詰まるのですこれが。

それと自身も悩み苦しみつつ登場人物を諭し、いたわる親鸞上人が良いのです。
かえでとのことで絶望している若き善鸞に、親鸞は云うのです。
「運命がお前を育てているのだよ。」

この本は戯曲として書かれたものの、殆ど上演はされず、よむ戯曲として大正時代から版を重ねています。
たまにはこういうのも読まなあかん、と思った比較的若かったあの頃の自分。
ほいでもってまたブルースするんじゃ。わしも、あんたも。

詩集「宿恋行」 鮎川信夫 思潮社

 

 今でも何か或る度に、鮎川信夫ならどう云うかな、とよく考える。代表的な戦後詩人で86年に亡くなった人であり、有名な「荒地グループ」の中心的詩人だった。

田村隆一も中桐雅夫も北村太郎も死んでしまった。T・S・エリオットの精神を受け継いだ「荒地」は、もう遠くなってしまった。

多くのシンガーと別にして、この鮎川信夫は僕の最も大きなアイドルだった。この人の言葉の深遠さはどこからやってくるのか?

十代から二十代にかけてこの事は僕の大きな興味だった。そして一編の詩が、一冊の小説や文学と匹敵しうると云う事を教えてくれた詩人だった。石原吉郎や吉本隆明も好きだが、十代の頃に受けたショックと云う点では、鮎川信夫が一番だった。

 

詩人は身近な愛や悲しみだけでなく、常に世界の状況と関わっているものだ。だから、世界の政治的状況に無関心で在ってはならない、といつも語っていた詩人なのだが、非常に個人的な謎に満ちた詩作品も多く、ミュージシャンにもぜひ読んで欲しい。ソ連の崩壊を予言したような「ソルジェニーツィン」。

詩人の運命を描いた「必敗者」。ギョッとさせられる「Who I Am」。

思わず、自分なりににアレンジして曲をつけずにいられなかった「跳躍へのレッスン」。

どんな大きなノイズや叫びをも包み込む沈黙を感じさせる詩集だ。そしてそれは、彼の死後発刊された詩集「難路行」も同様だと思う。シンガーの詞も、詩には違いないが、桁外れに重みの異なる詩世界も存在する...と、僕はいつも痛感している。唄はどこまでそんな表現に肉薄できるだろうか?

余談であるが鮎川信夫は生前、忌野清志郎の詩集「エリーゼのために」を高く評価していたし、ジョン・レノンの死を悼んだ「ジョン・レノンの死に」と云う詩を残したりしている。見える人には、全て見えてるもんだなと、若かった僕は舌を巻いたものである。

「宇宙船ビーグル号の冒険」  ヴァン・ヴォークト著

 

 科学者や軍人を1000人載せ、未踏の宇宙探査に乗り出した巨大な球形宇宙船ビーグル号の、これは脅威に満ちた物語である!って、つまり「スタートレック」の元祖と言っていい。
深宇宙で出会った未知のスペース・モンスター達との息詰まる戦いがクールな筆致で描かれている。

 

実は高い知能と両肩に触手をもつ巨大な猫のような「ケアル」。
前時代の宇宙の支配者で物質の分子構造を透過しての侵入が出来る上に、人間の体内にグール(食肉鬼)という幼体を寄生させる真紅の悪魔「イクストル」。
テレパシーでビーグル号にとある理由で干渉し、乗員を内乱状態に陥れる鳥のような「リーム人」。
そしてきわめつけは銀河全体に蔓延り生命を食らう巨大な塵状の無形生物「アナビス」。

元来はSF専門誌に発表された四編の短編が1950年に一冊にまとめられた物語である。この文庫本は中学くらいに買って読んだのかな。
各章の初出は、
「Black Destroyer」 (黒の破壊者):ケアル登場!『アスタウンディング』誌・1939年7月号
「War of Nerves」(神経戦):リーム人登場!『アザー・ワールズ(英語版)』誌・1950年5月号
「Discord in Scarlet」(緋色の不協和音):イクストル登場!『アスタウンディング』誌・1939年12月号
「M33 in Andromeda」(アンドロメダM33):アナビス登場!『アスタウンディング』誌・1949年8月号
(以上ウィキペディアより抜粋。)
ともかくこの物語をすでに大戦中の1939年から小説に描いていたヴォークトのイマジネーションはあまりにも凄いと思う。
特にイクストルはあの映画「エイリアン」の元ネタにもなっているのだ。
またリーム人のテレパシー波により、科学者と軍人との間の確執が表面化して、艦内が内乱になるなど人間たちの動向も興味深い。
全ての科学を統合して実践される「総合科学」や、日本人歴史学者・苅田の唱える「周期学説」、時速何光年もの速度で航行する「反加速度航法」など、センスオブワンダーに溢れる設定は興味が尽きない。また人間側の描写は勿論、モンスター達の由来や心理描写も詳しく書き込んであり、倒叙推理(犯人の犯行も詳しく描く推理小説)のような味わいもあるのだ。

「日曜日ひとりででかけた」 ふちがみとふなと

 

かって詩人の上田假奈代さんが、ぜひ聞いてみてと勧めてくださったCD。

ボーカルの淵上純子と、ベーシストの船戸博史のふたりによるバンドなのですが、ウッドベースと唄のみという構成には驚愕。やられました。

 

二人のミュージシャンの濃密な関係と、勿論センスと技術がないことには、こういう音楽は成立しないと思うが、ちゃんと成立しているのである。

 

 淵上純子の声は強靭でいて、繊細。哀しみと狂気をはらみ、雨の降りそうな休みの日にぴったりなタイトルチューン「日曜日ひとりででかけた」、ノスタルジックな古曲「上海」、 それに曲馬団でおなじみな「天然の美」、ルーリードの「Walk  on  the  wild  side」まで(英語の朗読!また発音がいい。)やっています。

 

13曲中7曲が淵上純子の手による唄で、日々の喜びと哀しみを切々と唄い上げる「Nalala」がとくに素晴らしい。船戸博史は関西で大活躍のベーシストだが(さねよしいさ子の大阪ライブで拝見。)当然ウッドベースの持ち味を活かし切り、生き物のようにベースを唄わせています。ギターなんぞなくたって、確信と唄だましいとがあれば、そこに音楽が成立するという証である。

仲々出来るこっちゃありませんが。